[Deepthink]

哲学 wikipedia より引用 » [ 引用元 ]
哲学(てつがく、希: φιλοσοφια=愛知)は、前提や問題点の明確化、概念の厳密化、命題間の関係の整理などの理性的な思考を通じて、様々な主題について論じて研究を進める学問の一種。また、そのような思考を通じて形成される立場も哲学と呼ばれる(ソクラテスの哲学、など)。
ギリシャ語の「philos」(愛)+「sophia」(知)の結合であり、「知を愛する」という意味が込められた語である。この語はヘラクレイトスやヘロドトスによって、形容詞や動詞の形でいくらか使われていたが、名称として確立したのはソクラテスやプラトンが用いるようになってから、とされている。また冒頭に示したように、多くの言語でこのギリシャ語の語に音写した語となっている。
歴史的には哲学に関しては様々な考えが生まれた。多くの直接に実用的ではない学問[1]を哲学と考えるむきもあるが、現代の目からすれば学問・科学(羅: scientia)の側面も含んでいたと言える[2]。今日のような狭義の哲学という学問領域が成立したのは、19世紀中頃、哲学者ヴントの新しい学問分類によって学問の総称の地位が哲学から科学に移行してからである。
学問としての哲学で扱われる主題には世界を説明する起源を始め真理、善、美、正義、神、存在、時間、知識、本質、同一性、理性、因果、意識、自他などといった事柄が含まれる。一般に、哲学の主題は抽象度が高い概念であることが多い。
これらの主題について論じられる事柄としては、定義(「神とは何か」)、性質(「理性は人間にとって生与のものか」)、複数の立場・見解の間の整理(「諸存在の本質はひとつであるとする立場と、諸存在の本質は多様であるとする立場の主な争点は何か」)などがある。
また、「高貴な生き方とは存在するのか、また、あるとしたらそれはどのようなものなのか」「善とは永遠と関連があるものなのか」といった問いの答えを模索する営みとして、旧来の神学や科学的な知識・実験では明確に解答を与られないような問題を扱うものであるとも言える[3]。
このような意味での哲学はより具体的にはとりわけ古代ギリシアのギリシア哲学、中世のスコラ哲学、ヨーロッパの諸哲学(イギリス経験論、ドイツ観念論など)などをひとつの流れとみてそこに含まれる主題、著作、哲学者などを特に研究の対象とする学問とされることも多い(哲学一般から区別する場合にはこれを特に西洋哲学と呼ぶことがある)。
また、諸学問の扱う主題について特にこうした思考を用いて研究する分野は哲学の名を付して呼ぶことが多い。例えば、歴史についてその定義や性質を論じるものは「歴史哲学」と呼ばれ、言語の定義や性質について論じるものは「言語哲学」と呼ばれる。これらは哲学の一分野であると同時にそれら諸学の一部門でもあると考えられることが多い。
更に広義には哲学は思索を経て何かの意見や理解に辿り着く営みでありそのような営みの結果形成されたり選ばれたりした思想、立場、信条を指す。例えば、「子育ての哲学」「会社経営の哲学」などと言う場合、このような意味での哲学を指していることが多い。
また、哲学は個々人が意識的な思索の果てに形成、獲得するものに限定されず、生活習慣、伝統、信仰、神話、伝統芸能や慣用表現、その他の文化的諸要素などと結びついて存在している感受性、価値観、世界観などを指す場合もある。つまり、物事の認識・把握の仕方、概念、あるいは発想の仕方のことである(こうしたものは思想と呼ばれることも多い)。
このような感受性や世界観は必ずしも理論体系として言語によって表現されているわけではないが、体系性を備え、ひとつの立場になっていると考えられることがしばしばある。
なお、日本語「哲學」(希哲の学)という訳語は、明治時代初期に元津和野藩士西周によって作られた日本語の単語である。「philosophy」(ギリシア哲学)の訳として「賢哲を希求する」という意味で最初「希哲學」を当てていたが最終的には「哲學」に固定した。
これはそれまで「希: φιλοσοφια」の音訳(例えば羅: philosophia、独: Philosophie、仏: philosophie、伊: filosofia、英: philosophy、露: философияなど)しかなかった西洋世界にも無い意訳であり画期的なことであった(ただし、このことにより日本では哲学への誤解が生じた)。
なお西周は他に主觀・客觀・概念・觀念・歸納・演繹・命題・肯定・否定・理性・悟性・現象・藝術(リベラルアーツの訳語)・技術などの西欧語のそれぞれの単語に対応する日本語を創生している。
なお、この日本生まれの熟語は中国語にも移入された。中国語でも「philosophy」に相当する語は「哲学」である。
思索により独自にある高み(結論の類型)を獲得する哲学は、一定の度合いで時代や身分、環境を超越し、しばしば普遍性を伴う[4]。後世の著作物の中に太古の思想との類似性が見つけられる場合、それが先哲の思索を継承したのか、独自の着想によるものかは即断できないが、明らかに以前には無い発想が述べられている場合、しばしばそれが重要な哲学的な独創性を意味していることがある。一方で思索は極めて属人的な営みであり、思索家の死や沈黙、著作物の散逸などにより失われやすいものの、弟子達の著作によりその思想が後世にまで残り、多大な影響力を及ぼすことがある[5]。
思索の継承と橋頭堡を打ち立てた先哲に対し敬意を払い続ける態度もまた哲学の顕著な特徴である。一方で、異なる学派間の対立は民衆の懐疑と嘲笑的態度、独断の蔓延とそれによる思想の貧困化につなり、戦乱が続いた時代は思想が停滞・後退した。ヨーロッパにおいて教会の権力が頂点に達した頃には、哲学はしばしば神学的な問題に用いられ、近代には先哲の批判後独自の哲学を打ち立てた近代哲学者たちが現れた。
哲学は分業化された産業としての側面を有し、個々の専門分野に閉じこもりがちであるが、しばしば、同時代に共有されていた問題意識や偏見の影響が見られる。逆に、哲学者自身が及ぼした影響の痕跡が後世に見られることもある。哲学が専ら同時代の観察と分析に徹しているという意見もある一方で、旺盛な活動によって世に知られた哲学者もいる。
他の学問と哲学を区別する特徴となるような独自の方法論が哲学にあるかどうかというのはなかなか難しい問題である[6]。少なくとも近代哲学においてはデカルト以来、疑いうるものを懐疑する態度、できるだけ明晰に思考する態度、事物の本質に迫ろうとする態度が哲学を特徴づけてきたといえるだろう[7]。
ただ、これだけであれば学問の多くに共通する特徴でもあるし、逆に、理性や常識を信頼するタイプの哲学が哲学でないことになってしまう。分析哲学においては概念分析という道具を手にすることで、自然科学とは異なる独自の思考形態が成立したが、これも哲学すべてを特徴づける思考形態であるとは言いがたい。
哲学はその黎明期において、科学において大切でかつ難しいといわれる仮説の発明を、重要な形で成してきた[8]。自然科学と哲学は(そもそも19世紀に至るまでは、自然科学を指す言葉として「自然哲学」という言葉が使われていたことからも分かるように)伝統的には切れ目のないひとまとまりの領域として扱われてきたが、その中においても今から振り返って、「自然科学的」な部分と「哲学的」な部分を区別することができる。そうした「自然科学的」部分は伝統的に人間の作為を含まない対象(自然)を観察、分類することを主眼としてきた。
また近代に至っては実験という形で積極的に自然に介入することを重視する実験科学が登場しさらに19世紀以降には目に見えるものからその背後の秩序を推測してモデル化するという営みが科学の中心となってきた。一方「哲学的」な部分では昔も今も観察や実験が果たす役割は限定的である。
例えば、時間について考察する哲学者は同じ問題を扱う物理学者とは違い観察や実験の積み重ねによらず結論を導くことがある。また、哲学者は物理学の成果を参照しそれを手がかりに哲学的思索を行うことはあるが、現代において物理学者が(自然)哲学の成果を積極的に参照することは少ないようである[9]。
こうした分離や性格の差が生じた理由はいくつか考えられるが、知識の取得法(方法論、データのとり方、理論の当てはめ方、論争の決着のさせ方など)が確立した分野が順次哲学から分離していった結果、哲学はデータのとれないことについて考える領域なのだという了解が後から成立してきたという事情はおそらくあるだろう。
そうしたものの見方から捉えると、先の時間の例について言うなら、われわれの主観的経験や世界を捉えるためのもっとも基本的な形而上学としての時間は未だに物理学はもちろん心理学でもうまくとらえきることのできない対象でありそのために哲学的な時間論の対象となるわけであるし、逆に、主観的経験について客観的なデータをとる手法が確立したなら、現在哲学的時間論の対象となっている問題の少なくとも一部は哲学を離れて心理学の一分野となるように思えるであろう。
客観的データになじまないもうひとつの領域が規範の領域、つまり「実際にどうであるか」ではなく「どうあるべきか」を論じる文脈である。これもまた自然科学が不得手とする領域である。
哲学も決して自然科学的知見を無視するわけではないので自然科学によってもたらされる新たな発見はしばしば旧来の哲学に重大な脅威を与えてきた。またそもそも古代の哲学者が成した科学的発見が自身の手による実験によって証明されていることがある。
自然科学が自然哲学から分化して以降、哲学者は自然科学者の成果を重視し両者の親和性を失わないよう不断の努力を行ってきたし、また近代においては観察や経験を重要視する哲学者たちが生まれた。また一方で、科学者たち自身が扱わないような非常に基礎的な問題(科学方法論の原理論や科学的実在論といった問題)についてはむしろ哲学者が率先して考察を行ってきた(科学哲学の項参照)。あるいは科学が他の姿をとりうる論理的・現実的可能性を論じることで一度は忘れられた仮説を再発掘する原動力となったり新しい科学理論の形を呈示したりする場合もある。
歴史的に有名な事例としては全ての力が引力と斥力の二つに集約されるというドイツ観念論のテーゼが電力と磁力の統合というエルステッドの発見に結びついたといった例がある。
なお、近年の英米哲学では自然主義という名の下に哲学を自然科学の一部とする動きがある。
伝統的に論理学は哲学の一分野として研究されてきた[10]。 論理学は伝統的にわれわれの推論のパターンを抽出することを目的としてきた。特に伝統的な論理学においては、前提が正しければ確実に正しい結論を導くことができる手法としての三段論法が主な研究の対象であった。
推論の厳密さを重視する哲学においては論理学は主要な研究の対象であり政治や弁論術、宗教、数学や科学の諸分野において論理学は重要な研究の対象であり続けた。古代の哲学者たちはしばしば現代でいう論理学者や数学者を兼ねていた[11]。
論理学の直接の関心は推論の妥当性や無矛盾性にあり、かならずしも人間や社会や自然の諸事象が考察の焦点にならない(この点で論理学は哲学の他の分野とは性格が異なる)。たもし疑いようのない前提から三段論法を用いて人間や社会や自然の諸事象についての結論を導き出すことができるならそれは非常に強力な結論となりうる。哲学者たちが論理学を重視してきたことは当然といえるだろう。
しかし逆にいえば、三段論法の結論の厳密さはあくまで前提の正しさに依拠するものであり前提がとんでもないものであれば結論もとんでもないものが出てしまう。たとえば「すべてのカラスは黒い。この鳥は黒くない、したがってこの鳥はカラスではない」といった推論では最初の前提が間違いで本当は白いカラスもいるような場合、結局あやまった結論にたどりついてしまう。
この問題は重要で、たとえばジョン・スチュアート・ミルは三段論法が内包するこの危うさについて、結論を知っていないならば、大前提の全称判断は得られないのだから、三段論法は一種の循環論証であると批判した。一方彼は帰納法の四大規則をこしらえたが、それらは因果律が仮定される限り有効に用いられるものであり、まったく単純枚挙による機能にもとづいてのみ、容認しうるものであることを白状せねばならなかった。
哲学的論理学においてはしばしば推論規則そのものの哲学的な正当性が問題となってきた。古典論理については排中律の是非が問題となってきたし、帰納論理についてはそもそも帰納論理なるものが成立するのかどうか自体が問題となった。こうした検討は認識論や科学哲学といった他の分野にも大きな影響を与えてきた。20世紀の初頭までには古典論理による推論の限界が明らかにされる一方でその公理系そのものを懐疑する視点から様相論理学、直観論理や矛盾許容論理などの展開も提示されている。
古い哲学と宗教は共に神の存在を包摂している分野であるために厳密な区分は難しいが、少なくとも合理的な追求を試みる態度によって異なっているといえる。
西洋哲学の萌芽ともいえるソクラテス以前の哲学の中には、それまでの迷信を排したものがある。例えばホメロスの詩は、それまでの民衆の狂信的要素を極力退けているものになっていると言われる。この点古代ギリシャ人及びその哲学には二つの傾向が見られた。一つは合理的で冷静、もう一つは迷信的で熱狂的であるというものであり、彼らはその合理性によって多くの迷信を克服したが、恐怖や苦難に見舞われた際に以前の迷信が再び頭をもたげた。
オルフェウスは‘清めの儀式’や天上・地獄の教義について述べていて、後のプラトンやキリスト教に影響を与えた。日本の仏教でも、例えば極楽浄土と地獄に関する教え等を説いている。プラトンは永遠で恒久なる存在について考えたが、彼の場合は少なからず認識といった知的なアプローチを説いた。後世においてライプニッツは、時間の絶対性の観点からして時間の始源より以前に時間を遡ることが論理的に不可能であるとし、その始源に神の座を据えたと言われる。現代では宇宙のビッグバン説や、時間の相対性といった発想が反論として挙げられるだろう[12]。
宗教や神の存在に関する知的な理解を求めた人々は、しばしば哲学的な追究をし、逆に信仰に重点を置いた人々は、哲学的に手のこんだ解釈やへ理屈めいた議論を敬遠したといえるだろう。同じ宗教にたずさわりながら、知的に優れ 業績を残した人もいれば、迷信的なものにとらわれた人もいた。しかし、信仰心のあつい人は、しばしば、哲学をする人の中に、詭弁で他人を議論の袋小路に追い込む酷薄な人を見てとり、哲学者を不信の目で眺めたが、逆に知的にも人格的にも傑出した哲学者は、人々の尊敬を広く集めた。
また哲学と宗教との差異として、なにがしか「疑ってみる」態度の有無が挙げられる。多くの宗教(アブラハムの宗教など)には信仰の遵守を求めるドグマ性から、時として疑問抜きの盲信を要求しがちな面がある[13]。
現代では自然科学が成功を収め神的なものに疑問符が突きつけられるようになったため、唯物論思考など神を介しない考え方も力を得てきている。[14]また、近代のニヒリズムの哲学の一派は神を否定し、宗教を嘲笑したが、彼らは英雄崇拝・力への信仰へと傾いた。彼らの考えの多くは、他者への不信感と憎悪に裏打ちされており、自発的な他者への愛にもとづく相互扶助、という考えを全く欠いているために、その普遍性に関して重大な欠陥を抱えていると考えられる。一方、否定的確証にも肯定的確証にも欠けるとして科学・宗教いずれの見解も留保する不可知論的立場もある。
一部の哲学は、理知的な学問以外の領域とも深く関わっている点に特徴がある。古代ギリシャ哲学が詩と分かちがたく結びついていたこと、スコラ哲学や仏教哲学のように、信仰・世界観・生活の具体的な指針と結びついて離れない例があることなどが指摘できる。理性によって物事を問いながらも、言葉を用いつつ、人々の心に響く考えやアイディアを探すという点では文学などの言語芸術や一部の宗教と通じる部分が多い。
哲学者の名言が多いのはそのためでもある。日本では主に文学部の中の「哲学科」で哲学を学ぶが欧米には「哲学部」という学部が存在する。
哲学は「諸学を統べる究極の学である」すなわち「万学の王」とされた時代も過去にはあり特にその伝統が培われた西洋の諸学問の中では極めて重要な位置を占めていた。
だが、現代では「哲学はむしろ根本的な欠陥を抱えている」「非生産的で無価値な学問分野である」、などとしてしばしば厳しい批判にも晒されている。学問分野として全面的な否定や揶揄の対象にされることが多い点も哲学ならではの特徴といえる。
ちなみにこの批判の中には哲学者とされる者によって展開されるものも含まれそのような批判が一つの哲学的立場になっている場合もある。
実証性を伴わず概念的な整理や体系化などに活動が集中していること、抽象的な思索であるために現場や実践と結びつきにくいことなどから哲学の価値に疑問を呈する見方があるため哲学という学問分野に関わる人間には、その真の価値を成就する為にも哲学の単なる客体としての研究や過度に抽象的な思索・議論に留まらず、哲学する事、即ち、哲学を自ら実践する事が求められるところである。
それと関連して、抽象的な概念を巡る定義や論争などは、証拠によって決着を着けたり、万人が合意するような立場に辿りつける可能性が薄く(あるいはそのような可能性が皆無で)、結論が出ないままに延々と議論だけが続く、非生産的な学問であるとの見方もある。神の存在証明を巡る中世のスコラ哲学などは、その典型であったといえよう(もっとも、証明方法の洗練によって、論理学の発展にはかなり貢献した)。
また、大学の哲学教員など現代の職業哲学者の従事する学問としての哲学は理性と言語による思考に特化しており必ずしも詩や宗教などと密接に結びついているわけではない。これに関して理性や言語による思考には限界や欠陥があり、人間の豊かな感性、感情を見落としがちであり哲学は学問分野としてそのような本質的限界、欠陥を抱え込んだ分野であると批判されることもある。
また、理性や言語を重んじる価値観は近代以降の西洋の諸文化に特徴的なものであると見做して攻撃する立場もある。既存の哲学が「西洋哲学」中心であることや、習慣などに埋め込まれて存在していて言語化されたり、理性的な吟味の対象にならない思想を哲学の一種として扱わない傾向にあることなどを、そのような価値観の表れと考え、問題視する立場もある。
1990年代半ばより、現代思想の哲学者並びに思想家が数学や物理学などの自然科学の理論や用語を、その意味を理解しないままに模倣したり、読者を煙に巻いたりしていることへの批判が起こった。哲学者のこうした欺瞞を批判した最も著名な例としてソーカル事件がある。彼らの論文に用いた数学らしき記号の羅列は数学者でなくとも自然科学の高等教育を受けた者ならそれが出鱈目であることはすぐに見抜けるお粗末なものだったのである。
自然科学以外の日本の学問は単なる翻訳ものと揶揄されることもいささかあるがそのもっとも顕著な分野が哲学であるといえる。
日本においては真に独創的な哲学者・思想家は意図的に無視あるいは軽視される傾向が強く、単に哲学知識を持つだけの学者を哲学者と定義する傾向にあるのが事実である。原因の一つは明治初期に西洋哲学が導入されたとき、西洋哲学の思想があまりにも詰屈な漢熟語で翻訳されてしまったためであるといえる。
先述のように「哲学」という用語そのものがその代表例であった。ドイツにおいては、それらは伝統や日常によって裏付けされたものだったが、日本における哲学は多くの人の日常から懸け離れたものとなってしまう。その傾向はドイツ観念論に対する漢熟語から外来語をそのまま使う英米流の分析哲学、フランス現代思想が主流となった現代でもあまり変わらない。
資質として真に哲学的な性向をもつ者の中にはこういった知識のみの人たちを揶揄して「哲学輸入業者」「哲学学者」などと呼ぶことがある。むろん、中には偉大な哲学者も幾人もおり独自の思想を展開していった西田幾多郎や大森荘蔵、井筒俊彦、廣松渉などはその例であるといえる。
欧米でも日本でも女性の哲学者は珍しくはないにしても圧倒的に少ない[15]。数少ない女性の哲学者(思想家)としてはヒルデガルト・フォン・ビンゲン、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、シモーヌ・ヴェイユ、ハンナ・アーレントなどがいる。
哲学は様々な形で細分化される。以下に挙げるのはその内特に広く用いられている分類、専門分野の名称である。
哲学ではしばしば多くの「学派」が語られる。これは、通常、特定の哲学者の集団(師弟関係であったり、交流があったりする場合も少なくない)に特徴的な哲学上の見解、立場である。
大陸合理主義 - イギリス経験論 - 超越論的哲学 - ドイツ観念論 - 生の哲学 - 現象学 - 実存主義 - 解釈学 - 論理実証主義 - 構造主義 - プラグマティズム
特定の学者や学者群に限定されない「立場」についても、多くの概念が存在している。
頻繁に言及されるものに、実在論、唯名論、要素還元主義、相対主義、合理主義、一元論、全体主義、独我論、懐疑主義、などがある。
哲学 はてなキーワード より引用 » [ 引用元 ]
...語philosophiaに由来する。直訳すると愛知。諸学の源参考:哲学者関連語:二文字キーワード...
Keyword : 哲学者哲学(てつがく、希: φιλοσοφια=愛知)は、前提や問題点の明確化、概念の厳密化、命題間の関係の整理などの理性的な思考を通じて、様々な主題について論じて研究を進める学問の一種。また、そのような思考を通じて形成される立場も哲学と呼ばれる(ソクラテスの哲学、など)。
ギリシャ語の「philos」(愛)+「sophia」(知)の結合であり、「知を愛する」という意味が込められた語である。この語はヘラクレイトスやヘロドトスによって、形容詞や動詞の形でいくらか使われていたが、名称として確立したのはソクラテスやプラトンが用いるようになってから、とされている。また冒頭に示したように、多くの言語でこのギリシャ語の語に音写した語となっている。
歴史的には哲学に関しては様々な考えが生まれた。多くの直接に実用的ではない学問[1]を哲学と考えるむきもあるが、現代の目からすれば学問・科学(羅: scientia)の側面も含んでいたと言える[2]。今日のような狭義の哲学という学問領域が成立したのは、19世紀中頃、哲学者ヴントの新しい学問分類によって学問の総称の地位が哲学から科学に移行してからである。
学問としての哲学で扱われる主題には世界を説明する起源を始め真理、善、美、正義、神、存在、時間、知識、本質、同一性、理性、因果、意識、自他などといった事柄が含まれる。一般に、哲学の主題は抽象度が高い概念であることが多い。
これらの主題について論じられる事柄としては、定義(「神とは何か」)、性質(「理性は人間にとって生与のものか」)、複数の立場・見解の間の整理(「諸存在の本質はひとつであるとする立場と、諸存在の本質は多様であるとする立場の主な争点は何か」)などがある。
また、「高貴な生き方とは存在するのか、また、あるとしたらそれはどのようなものなのか」「善とは永遠と関連があるものなのか」といった問いの答えを模索する営みとして、旧来の神学や科学的な知識・実験では明確に解答を与られないような問題を扱うものであるとも言える[3]。
このような意味での哲学はより具体的にはとりわけ古代ギリシアのギリシア哲学、中世のスコラ哲学、ヨーロッパの諸哲学(イギリス経験論、ドイツ観念論など)などをひとつの流れとみてそこに含まれる主題、著作、哲学者などを特に研究の対象とする学問とされることも多い(哲学一般から区別する場合にはこれを特に西洋哲学と呼ぶことがある)。
また、諸学問の扱う主題について特にこうした思考を用いて研究する分野は哲学の名を付して呼ぶことが多い。例えば、歴史についてその定義や性質を論じるものは「歴史哲学」と呼ばれ、言語の定義や性質について論じるものは「言語哲学」と呼ばれる。これらは哲学の一分野であると同時にそれら諸学の一部門でもあると考えられることが多い。
更に広義には哲学は思索を経て何かの意見や理解に辿り着く営みでありそのような営みの結果形成されたり選ばれたりした思想、立場、信条を指す。例えば、「子育ての哲学」「会社経営の哲学」などと言う場合、このような意味での哲学を指していることが多い。
また、哲学は個々人が意識的な思索の果てに形成、獲得するものに限定されず、生活習慣、伝統、信仰、神話、伝統芸能や慣用表現、その他の文化的諸要素などと結びついて存在している感受性、価値観、世界観などを指す場合もある。つまり、物事の認識・把握の仕方、概念、あるいは発想の仕方のことである(こうしたものは思想と呼ばれることも多い)。
このような感受性や世界観は必ずしも理論体系として言語によって表現されているわけではないが、体系性を備え、ひとつの立場になっていると考えられることがしばしばある。
なお、日本語「哲學」(希哲の学)という訳語は、明治時代初期に元津和野藩士西周によって作られた日本語の単語である。「philosophy」(ギリシア哲学)の訳として「賢哲を希求する」という意味で最初「希哲學」を当てていたが最終的には「哲學」に固定した。
これはそれまで「希: φιλοσοφια」の音訳(例えば羅: philosophia、独: Philosophie、仏: philosophie、伊: filosofia、英: philosophy、露: философияなど)しかなかった西洋世界にも無い意訳であり画期的なことであった(ただし、このことにより日本では哲学への誤解が生じた)。
なお西周は他に主觀・客觀・概念・觀念・歸納・演繹・命題・肯定・否定・理性・悟性・現象・藝術(リベラルアーツの訳語)・技術などの西欧語のそれぞれの単語に対応する日本語を創生している。
なお、この日本生まれの熟語は中国語にも移入された。中国語でも「philosophy」に相当する語は「哲学」である。
思索により独自にある高み(結論の類型)を獲得する哲学は、一定の度合いで時代や身分、環境を超越し、しばしば普遍性を伴う[4]。後世の著作物の中に太古の思想との類似性が見つけられる場合、それが先哲の思索を継承したのか、独自の着想によるものかは即断できないが、明らかに以前には無い発想が述べられている場合、しばしばそれが重要な哲学的な独創性を意味していることがある。一方で思索は極めて属人的な営みであり、思索家の死や沈黙、著作物の散逸などにより失われやすいものの、弟子達の著作によりその思想が後世にまで残り、多大な影響力を及ぼすことがある[5]。
思索の継承と橋頭堡を打ち立てた先哲に対し敬意を払い続ける態度もまた哲学の顕著な特徴である。一方で、異なる学派間の対立は民衆の懐疑と嘲笑的態度、独断の蔓延とそれによる思想の貧困化につなり、戦乱が続いた時代は思想が停滞・後退した。ヨーロッパにおいて教会の権力が頂点に達した頃には、哲学はしばしば神学的な問題に用いられ、近代には先哲の批判後独自の哲学を打ち立てた近代哲学者たちが現れた。
哲学は分業化された産業としての側面を有し、個々の専門分野に閉じこもりがちであるが、しばしば、同時代に共有されていた問題意識や偏見の影響が見られる。逆に、哲学者自身が及ぼした影響の痕跡が後世に見られることもある。哲学が専ら同時代の観察と分析に徹しているという意見もある一方で、旺盛な活動によって世に知られた哲学者もいる。
他の学問と哲学を区別する特徴となるような独自の方法論が哲学にあるかどうかというのはなかなか難しい問題である[6]。少なくとも近代哲学においてはデカルト以来、疑いうるものを懐疑する態度、できるだけ明晰に思考する態度、事物の本質に迫ろうとする態度が哲学を特徴づけてきたといえるだろう[7]。
ただ、これだけであれば学問の多くに共通する特徴でもあるし、逆に、理性や常識を信頼するタイプの哲学が哲学でないことになってしまう。分析哲学においては概念分析という道具を手にすることで、自然科学とは異なる独自の思考形態が成立したが、これも哲学すべてを特徴づける思考形態であるとは言いがたい。
哲学はその黎明期において、科学において大切でかつ難しいといわれる仮説の発明を、重要な形で成してきた[8]。自然科学と哲学は(そもそも19世紀に至るまでは、自然科学を指す言葉として「自然哲学」という言葉が使われていたことからも分かるように)伝統的には切れ目のないひとまとまりの領域として扱われてきたが、その中においても今から振り返って、「自然科学的」な部分と「哲学的」な部分を区別することができる。そうした「自然科学的」部分は伝統的に人間の作為を含まない対象(自然)を観察、分類することを主眼としてきた。
また近代に至っては実験という形で積極的に自然に介入することを重視する実験科学が登場しさらに19世紀以降には目に見えるものからその背後の秩序を推測してモデル化するという営みが科学の中心となってきた。一方「哲学的」な部分では昔も今も観察や実験が果たす役割は限定的である。
例えば、時間について考察する哲学者は同じ問題を扱う物理学者とは違い観察や実験の積み重ねによらず結論を導くことがある。また、哲学者は物理学の成果を参照しそれを手がかりに哲学的思索を行うことはあるが、現代において物理学者が(自然)哲学の成果を積極的に参照することは少ないようである[9]。
こうした分離や性格の差が生じた理由はいくつか考えられるが、知識の取得法(方法論、データのとり方、理論の当てはめ方、論争の決着のさせ方など)が確立した分野が順次哲学から分離していった結果、哲学はデータのとれないことについて考える領域なのだという了解が後から成立してきたという事情はおそらくあるだろう。
そうしたものの見方から捉えると、先の時間の例について言うなら、われわれの主観的経験や世界を捉えるためのもっとも基本的な形而上学としての時間は未だに物理学はもちろん心理学でもうまくとらえきることのできない対象でありそのために哲学的な時間論の対象となるわけであるし、逆に、主観的経験について客観的なデータをとる手法が確立したなら、現在哲学的時間論の対象となっている問題の少なくとも一部は哲学を離れて心理学の一分野となるように思えるであろう。
客観的データになじまないもうひとつの領域が規範の領域、つまり「実際にどうであるか」ではなく「どうあるべきか」を論じる文脈である。これもまた自然科学が不得手とする領域である。
哲学も決して自然科学的知見を無視するわけではないので自然科学によってもたらされる新たな発見はしばしば旧来の哲学に重大な脅威を与えてきた。またそもそも古代の哲学者が成した科学的発見が自身の手による実験によって証明されていることがある。
自然科学が自然哲学から分化して以降、哲学者は自然科学者の成果を重視し両者の親和性を失わないよう不断の努力を行ってきたし、また近代においては観察や経験を重要視する哲学者たちが生まれた。また一方で、科学者たち自身が扱わないような非常に基礎的な問題(科学方法論の原理論や科学的実在論といった問題)についてはむしろ哲学者が率先して考察を行ってきた(科学哲学の項参照)。あるいは科学が他の姿をとりうる論理的・現実的可能性を論じることで一度は忘れられた仮説を再発掘する原動力となったり新しい科学理論の形を呈示したりする場合もある。
歴史的に有名な事例としては全ての力が引力と斥力の二つに集約されるというドイツ観念論のテーゼが電力と磁力の統合というエルステッドの発見に結びついたといった例がある。
なお、近年の英米哲学では自然主義という名の下に哲学を自然科学の一部とする動きがある。
伝統的に論理学は哲学の一分野として研究されてきた[10]。 論理学は伝統的にわれわれの推論のパターンを抽出することを目的としてきた。特に伝統的な論理学においては、前提が正しければ確実に正しい結論を導くことができる手法としての三段論法が主な研究の対象であった。
推論の厳密さを重視する哲学においては論理学は主要な研究の対象であり政治や弁論術、宗教、数学や科学の諸分野において論理学は重要な研究の対象であり続けた。古代の哲学者たちはしばしば現代でいう論理学者や数学者を兼ねていた[11]。
論理学の直接の関心は推論の妥当性や無矛盾性にあり、かならずしも人間や社会や自然の諸事象が考察の焦点にならない(この点で論理学は哲学の他の分野とは性格が異なる)。たもし疑いようのない前提から三段論法を用いて人間や社会や自然の諸事象についての結論を導き出すことができるならそれは非常に強力な結論となりうる。哲学者たちが論理学を重視してきたことは当然といえるだろう。
しかし逆にいえば、三段論法の結論の厳密さはあくまで前提の正しさに依拠するものであり前提がとんでもないものであれば結論もとんでもないものが出てしまう。たとえば「すべてのカラスは黒い。この鳥は黒くない、したがってこの鳥はカラスではない」といった推論では最初の前提が間違いで本当は白いカラスもいるような場合、結局あやまった結論にたどりついてしまう。
この問題は重要で、たとえばジョン・スチュアート・ミルは三段論法が内包するこの危うさについて、結論を知っていないならば、大前提の全称判断は得られないのだから、三段論法は一種の循環論証であると批判した。一方彼は帰納法の四大規則をこしらえたが、それらは因果律が仮定される限り有効に用いられるものであり、まったく単純枚挙による機能にもとづいてのみ、容認しうるものであることを白状せねばならなかった。
哲学的論理学においてはしばしば推論規則そのものの哲学的な正当性が問題となってきた。古典論理については排中律の是非が問題となってきたし、帰納論理についてはそもそも帰納論理なるものが成立するのかどうか自体が問題となった。こうした検討は認識論や科学哲学といった他の分野にも大きな影響を与えてきた。20世紀の初頭までには古典論理による推論の限界が明らかにされる一方でその公理系そのものを懐疑する視点から様相論理学、直観論理や矛盾許容論理などの展開も提示されている。
古い哲学と宗教は共に神の存在を包摂している分野であるために厳密な区分は難しいが、少なくとも合理的な追求を試みる態度によって異なっているといえる。
西洋哲学の萌芽ともいえるソクラテス以前の哲学の中には、それまでの迷信を排したものがある。例えばホメロスの詩は、それまでの民衆の狂信的要素を極力退けているものになっていると言われる。この点古代ギリシャ人及びその哲学には二つの傾向が見られた。一つは合理的で冷静、もう一つは迷信的で熱狂的であるというものであり、彼らはその合理性によって多くの迷信を克服したが、恐怖や苦難に見舞われた際に以前の迷信が再び頭をもたげた。
オルフェウスは‘清めの儀式’や天上・地獄の教義について述べていて、後のプラトンやキリスト教に影響を与えた。日本の仏教でも、例えば極楽浄土と地獄に関する教え等を説いている。プラトンは永遠で恒久なる存在について考えたが、彼の場合は少なからず認識といった知的なアプローチを説いた。後世においてライプニッツは、時間の絶対性の観点からして時間の始源より以前に時間を遡ることが論理的に不可能であるとし、その始源に神の座を据えたと言われる。現代では宇宙のビッグバン説や、時間の相対性といった発想が反論として挙げられるだろう[12]。
宗教や神の存在に関する知的な理解を求めた人々は、しばしば哲学的な追究をし、逆に信仰に重点を置いた人々は、哲学的に手のこんだ解釈やへ理屈めいた議論を敬遠したといえるだろう。同じ宗教にたずさわりながら、知的に優れ 業績を残した人もいれば、迷信的なものにとらわれた人もいた。しかし、信仰心のあつい人は、しばしば、哲学をする人の中に、詭弁で他人を議論の袋小路に追い込む酷薄な人を見てとり、哲学者を不信の目で眺めたが、逆に知的にも人格的にも傑出した哲学者は、人々の尊敬を広く集めた。
また哲学と宗教との差異として、なにがしか「疑ってみる」態度の有無が挙げられる。多くの宗教(アブラハムの宗教など)には信仰の遵守を求めるドグマ性から、時として疑問抜きの盲信を要求しがちな面がある[13]。
現代では自然科学が成功を収め神的なものに疑問符が突きつけられるようになったため、唯物論思考など神を介しない考え方も力を得てきている。[14]また、近代のニヒリズムの哲学の一派は神を否定し、宗教を嘲笑したが、彼らは英雄崇拝・力への信仰へと傾いた。彼らの考えの多くは、他者への不信感と憎悪に裏打ちされており、自発的な他者への愛にもとづく相互扶助、という考えを全く欠いているために、その普遍性に関して重大な欠陥を抱えていると考えられる。一方、否定的確証にも肯定的確証にも欠けるとして科学・宗教いずれの見解も留保する不可知論的立場もある。
一部の哲学は、理知的な学問以外の領域とも深く関わっている点に特徴がある。古代ギリシャ哲学が詩と分かちがたく結びついていたこと、スコラ哲学や仏教哲学のように、信仰・世界観・生活の具体的な指針と結びついて離れない例があることなどが指摘できる。理性によって物事を問いながらも、言葉を用いつつ、人々の心に響く考えやアイディアを探すという点では文学などの言語芸術や一部の宗教と通じる部分が多い。
哲学者の名言が多いのはそのためでもある。日本では主に文学部の中の「哲学科」で哲学を学ぶが欧米には「哲学部」という学部が存在する。
哲学は「諸学を統べる究極の学である」すなわち「万学の王」とされた時代も過去にはあり特にその伝統が培われた西洋の諸学問の中では極めて重要な位置を占めていた。
だが、現代では「哲学はむしろ根本的な欠陥を抱えている」「非生産的で無価値な学問分野である」、などとしてしばしば厳しい批判にも晒されている。学問分野として全面的な否定や揶揄の対象にされることが多い点も哲学ならではの特徴といえる。
ちなみにこの批判の中には哲学者とされる者によって展開されるものも含まれそのような批判が一つの哲学的立場になっている場合もある。
実証性を伴わず概念的な整理や体系化などに活動が集中していること、抽象的な思索であるために現場や実践と結びつきにくいことなどから哲学の価値に疑問を呈する見方があるため哲学という学問分野に関わる人間には、その真の価値を成就する為にも哲学の単なる客体としての研究や過度に抽象的な思索・議論に留まらず、哲学する事、即ち、哲学を自ら実践する事が求められるところである。
それと関連して、抽象的な概念を巡る定義や論争などは、証拠によって決着を着けたり、万人が合意するような立場に辿りつける可能性が薄く(あるいはそのような可能性が皆無で)、結論が出ないままに延々と議論だけが続く、非生産的な学問であるとの見方もある。神の存在証明を巡る中世のスコラ哲学などは、その典型であったといえよう(もっとも、証明方法の洗練によって、論理学の発展にはかなり貢献した)。
また、大学の哲学教員など現代の職業哲学者の従事する学問としての哲学は理性と言語による思考に特化しており必ずしも詩や宗教などと密接に結びついているわけではない。これに関して理性や言語による思考には限界や欠陥があり、人間の豊かな感性、感情を見落としがちであり哲学は学問分野としてそのような本質的限界、欠陥を抱え込んだ分野であると批判されることもある。
また、理性や言語を重んじる価値観は近代以降の西洋の諸文化に特徴的なものであると見做して攻撃する立場もある。既存の哲学が「西洋哲学」中心であることや、習慣などに埋め込まれて存在していて言語化されたり、理性的な吟味の対象にならない思想を哲学の一種として扱わない傾向にあることなどを、そのような価値観の表れと考え、問題視する立場もある。
1990年代半ばより、現代思想の哲学者並びに思想家が数学や物理学などの自然科学の理論や用語を、その意味を理解しないままに模倣したり、読者を煙に巻いたりしていることへの批判が起こった。哲学者のこうした欺瞞を批判した最も著名な例としてソーカル事件がある。彼らの論文に用いた数学らしき記号の羅列は数学者でなくとも自然科学の高等教育を受けた者ならそれが出鱈目であることはすぐに見抜けるお粗末なものだったのである。
自然科学以外の日本の学問は単なる翻訳ものと揶揄されることもいささかあるがそのもっとも顕著な分野が哲学であるといえる。
日本においては真に独創的な哲学者・思想家は意図的に無視あるいは軽視される傾向が強く、単に哲学知識を持つだけの学者を哲学者と定義する傾向にあるのが事実である。原因の一つは明治初期に西洋哲学が導入されたとき、西洋哲学の思想があまりにも詰屈な漢熟語で翻訳されてしまったためであるといえる。
先述のように「哲学」という用語そのものがその代表例であった。ドイツにおいては、それらは伝統や日常によって裏付けされたものだったが、日本における哲学は多くの人の日常から懸け離れたものとなってしまう。その傾向はドイツ観念論に対する漢熟語から外来語をそのまま使う英米流の分析哲学、フランス現代思想が主流となった現代でもあまり変わらない。
資質として真に哲学的な性向をもつ者の中にはこういった知識のみの人たちを揶揄して「哲学輸入業者」「哲学学者」などと呼ぶことがある。むろん、中には偉大な哲学者も幾人もおり独自の思想を展開していった西田幾多郎や大森荘蔵、井筒俊彦、廣松渉などはその例であるといえる。
欧米でも日本でも女性の哲学者は珍しくはないにしても圧倒的に少ない[15]。数少ない女性の哲学者(思想家)としてはヒルデガルト・フォン・ビンゲン、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、シモーヌ・ヴェイユ、ハンナ・アーレントなどがいる。
哲学は様々な形で細分化される。以下に挙げるのはその内特に広く用いられている分類、専門分野の名称である。
哲学ではしばしば多くの「学派」が語られる。これは、通常、特定の哲学者の集団(師弟関係であったり、交流があったりする場合も少なくない)に特徴的な哲学上の見解、立場である。
大陸合理主義 - イギリス経験論 - 超越論的哲学 - ドイツ観念論 - 生の哲学 - 現象学 - 実存主義 - 解釈学 - 論理実証主義 - 構造主義 - プラグマティズム
特定の学者や学者群に限定されない「立場」についても、多くの概念が存在している。
頻繁に言及されるものに、実在論、唯名論、要素還元主義、相対主義、合理主義、一元論、全体主義、独我論、懐疑主義、などがある。
哲学 はてなキーワード より引用 » [ 引用元 ]
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